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堺から古寺巡礼

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宇治 興聖寺

 宇治橋を渡る手前の東詰、老舗の茶屋で知られる「通圓」の脇から宇治川の河岸に沿って、対岸に平等院を眺めながら10分ほど上流に向かうと、曹洞宗の古刹興聖寺への入り口に着く。
 参道は紅葉の名所で、季節になると幾らか観光客を見かけるが、この時期の京都市内に比べればそれ程は多くない。恐らく宇治が最も賑わうのは5月から6月に掛けての新茶の季節だろうか。切り通しのようななだらかな参道を登って暫くすると、中国風の唐門が見えてきて、朝日山の麓の伽藍に到着する。

 興聖寺は、道元禅師が宋から帰国した天福元年(1233)に、伏見・深草に創建した興聖宝林禅寺が始まりとされる。その後、禅師は福井山中の永平寺に向かうが、やがて興聖宝林禅寺も衰退し、その後、応仁の乱によって焼失した。
 寛永10年(1633)に淀城主となった永井尚政が一旦は廃絶した興聖寺を現在の宇治の地に再建したという由来がある。この地には、かつては足利義満が整備した宇治七名園のひとつ朝日茶園があり、その茶園の大部分の面積を使って興聖寺を建立したとされる。



 建築史的に見れば、平安後期から鎌倉時代にかけて、今日の東大寺で見られる「大仏様」、禅宗寺院に見られる「禅宗様」といった宋代の建築様式が改めて導入された時期があった。この禅宗様の特徴は、山門、仏殿、法堂が一直線状に並ぶ左右対称の伽藍配置、強い反りを持った屋根、外観は彩色を施さない仕様、複雑で装飾的な火灯窓などが分かりやすい。

 今日、禅宗寺院といえば、枯山水に代表される庭も欠かせない要素のひとつと言えるが、直接中国から禅宗庭園の形式が導入されたというより、緩やかに日本の風土の中で成熟していったようである。この庭園様式のルーツのひとつにとして、山水画に代表される中国の水墨画の影響も良く指摘される。ただし、水墨画は道教などの神仙思想が起源とされ、中国の風土の中で自然と禅と結びついたものとも言われるが、それぞれ異なる時代に、全く別の文脈の中で発展してきた歴史的経緯がある。むしろ平安後期から鎌倉時代にかけて日宋貿易による交流の中で、こうした水墨画と禅宗とが日本国内に持ち込まれて、それまでの寝殿造や浄土信仰を背景とした平安時代の作庭と結びついて禅宗寺院の風景として昇華していったのだろう。

 興聖寺はシンメトリーな伽藍配置など典型的な禅宗寺院の様相を持つが、端正な石組の庭園も魅力的で、宇治十二景のひとつに数えられている。江戸初期に作られた庭園だが、この時期には小堀遠州の作庭を筆頭に数多く名園が生まれ、室町から江戸時代にかけての回遊式庭園や枯山水といった多様な形式が深化・成熟し、緻密かつ造作的であると同時に遠近を意識した立体的な配置により多彩な様相を見せる作庭へと洗練された時期に相当する。
 こうした多様な様相が楽しめるのも江戸期の禅宗寺院の特徴かと思われる。



茶の花の 香や冬枯の 興聖寺

 江戸中期の俳人、森川許六の一句に記される程には、冬の興聖寺に茶の花の香りは感じなかったが、宇治という場所で、しかも元は茶園のあった場所に建てられた禅宗寺院という事で茶とは縁が深い。
 日本の茶は、平安時代に弘法大師が中国から茶を持ち帰り、薬草として珍重されたものの一度は失われかけたが、臨済宗の開祖である栄西が改めて持ち帰った茶が国内に根付いてから広く日本中に拡がったとされる。その茶が宇治に移植され、侘び茶を経て茶の湯へ、あるいは煎茶や玉露に発展していった。その地に興聖寺が建てられた事には違いがない。

 茶に限らず、香木など香りの文化、建築や庭園の作庭など総じて伝来の仏教文化の各様相と見なされるが、これらは長い時間をかけて日本国内に根付いた結果であり、伝来した後でも更に独自に発展・成熟し、深く浸透した文化だといえる。長期に渡って複雑に影響し合う事で形成された多様性を持った文化的様相は、その変遷過程を眺めていくだけでは単純には捉えられないのは当然だろう。

 例えば香の文化にしても、仏教が初めて中国に伝来した時、既に香と仏教がインドで深く結びついて、それが中国に伝わって広く浸透したとされるが、そもそもインドの香は、その起源を探れば古代エジプトにまで遡ると言われる。今日、世界中どのような宗教であっても香とは深く結びつくように思うが、古代エジプトから中東を経て西はヨーロッパへ、東はインド、中国から海を越えて日本へと、香りの文化もまた世界中に拡がり各地で形を変えながら深く浸透していった。香木を焚いて、その芳香により清浄感をもたらす効果は、香りの良い花を添えても同じような役割を担うので、世界中どの宗教でも庭や花と密接に繋がるのは極自然な結果ではないかと思う。それが、たまたま日本ではこうした庭として創られたのに過ぎない。
 そうした、ゆっくりと時間をかけた到達地点として興聖寺に向き合ってみると、その視線の先に新鮮な日常の風景が見えてくるように思う。