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堺から古寺巡礼

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当麻寺

 当麻寺は、奈良と大阪の県境、竹之内街道の東側の起点近くに位置し、古代の交通・軍事上の要衝となる場所に鎮座する。この竹之内街道は、推古天皇期に整備された日本最古の官道とされ、難波津(現在の住之江区)と飛鳥を繋ぐ古代の幹線道とされる。その西端が現在の堺市内の開口神社に当り、東に向かうと二上山を越えたところで現在の葛城市当麻町に当る。当麻寺は7世紀、白鳳時代に創建されたとされるが、正史に記録がなく、正確な創建時期や創建の経緯などはあまり明らかにはなっていない。
 法隆寺にも匹敵する古刹であり、天平時代、平安初期に建立された二基の三重塔が国宝に指定され、更に中将姫伝説で知られるが、奈良市内からも大阪市内からも離れた場所にあるため、それほど観光地として全国的に知られているとは言い難い。

 中将姫の物語は、中世から江戸時代にかけて歌舞伎、浄瑠璃等で広く語り継がれてきたが、その最も重要な舞台のひとつがこの当麻寺にあたる。竹取物語のかぐや姫と並んで平安時代に広く伝えられた伝承と言えるが、この中将姫の物語は深く浄土信仰と関連付けられて長い時間をかけて全国に知られるようになったように思われる。



 創建当時は弥勒仏を御本尊として金堂・講堂を中心とした大伽藍を擁したと言われるが、平安時代後期には浄土信仰の活発化により、この中将姫に縁のある当麻曼荼羅が本尊として祀られて仁王門と本堂(曼陀羅堂)、更に子院である奥院に至る東西の軸を中心とした伽藍へと発展した。
 近鉄南大阪線の当麻寺駅を降りて、直線に伸びた門前町を真っ直ぐに二上山に向かって進むと、当麻寺の仁王門に差し掛かる。ちょうど二上山を臨むように山の麓に配置された寺院である。門を越えて左手、伽藍南側の緩やかな斜面を背にして少し高台に二基の三重塔が建つので、境内からもランドマーク的な役割を持ち、同時に門前町の参道からも二基並ぶ塔が目印になっている。二基の塔といえば、薬師寺の東塔と近年再建された西塔が有名だが、実は二基とも平安時代以前の創建で現存する唯一の寺院でもある。
 本堂を中心とした伽藍配置は飛鳥時代、奈良時代の寺院の様子を伺わせるが、本堂の更に奥の高台にある奥院や、東塔の手前にある中之坊など、伽藍を囲むように13の子院があり、京都の大徳寺を連想させる重層的な空間となっている。更にそれぞれの子院が真言宗と浄土宗とに属し、二つの宗派は並立する形となっている点も少なからず影響していると思う。こうした重層性が当麻寺の現在までの推移と重なり、奈良市街の古刹の中でも個性的な様相を見せているように感じる。



 境内の一番奥手にある奥院から眺めると、手前の子院の屋根、二基の塔と共に葛城市内の門前町が良く見渡すことができる。平安時代に入ると比叡山や高野山、あるいは吉野山といった山岳寺院が生まれ、京都市内の寺院を見ても自然と一体化した清涼感のある空間が数多く見られるようになるが、奈良を散策していくと、実はそれ以前の時代から既に高台となる山と平地との関係が信仰と深く結びついているように感じられる。
 当麻寺であれば二上山、東大寺であれば若草山、他にも飛鳥三山や三輪山など仏教、神道に関わらず信仰の対象としての山があり、同時に山を臨むと同時に山から平野を見渡す習慣が深く根付いていたように思う。そうした天平時代から平安期に至る時期のランドスケープとして当麻寺を改めて考えてみると興味深い。


正面に本堂(曼荼羅堂) 奥院から臨む当麻寺子院 奥院で育てられる牡丹