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堺から古寺巡礼

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永平寺

 福井駅からえちぜん鉄道に乗り換えて、30分ほど九頭竜川沿いに登っていくと永平寺口駅に到着する。2001年まではもう少し永平寺に近いところまで鉄道が通っていたが、現在は直行バスに乗り換えないと、駅から永平寺まではかなり距離がある。福井市内からかなり山間に向かった麓に永平寺がある。
 永平寺は山岳寺院と呼ぶ程山中の深い場所に建てられている訳ではないが、斜面に沿って伽藍が配置され、回廊が階段状になっていることや、北陸特有の雪深い風景のイメージもあって、かなり奥深いところにあるような印象を持つが、そこまで人里から離れた場所ではない。それでも永平寺が吉野や高野山と同じように山深い場所のように感じるのは、境内の杉の巨木群の印象が鮮烈だからだと思う。樹齢700年程といわれる杉の巨木が両脇に並ぶ石段と、その先にある天保年間に創られた勅使門は、最も知られた永平寺の象徴と言えよう。



 道元禅師が中国での修行を終えて日本に帰国し、はじめ京都深草の興聖寺を開くが、当時の越前国の地頭波多野義重の招致により越前志比荘に移転することになる。その後1244年に現在の永平寺の地に大佛寺を開き、1246年に大佛寺を永平寺に改めて現在に至る。  出火などにより、創建当時の建築は残されていないが、その都度再建され、当時のままに継承されてきた空間は、時間的な積み重ねも含めて圧倒的な存在感がある。境内の樹木や敷石のひとつひとつにも永平寺であることが感じられるような空間である。
 バスを降りて、お土産屋や飲食店が並ぶ緩やかな上り坂の参道を進むと、杉の巨木と大屋根が見えてきて、永平寺に到着したことを実感する。里と呼ぶにはやや小規模な門前町をゆっくり回ってみると、永平寺と共に長い時間を過ごした暮らしのある風景が少しずつ見えてくる。この門前町の集落は、記録を辿れば戦国時代に遡るほど長く永平寺と関わりの深い集落であり、代々伽藍の修復・造作に従事、あるいは山林や畑作の手伝等に携わってきたとされる。今でこそ観光地の商店街のような賑わいがあるが、やや人里から離れた山の麓の小さな門前集落らしい、永平寺と緩やかに一体化した静かな空間は、風格や気品に近い独特な雰囲気を持っている。



 かつては門前大工村と呼ばれていた白山神社方面に上っていけば、永平寺川の流れに沿って、静かで落ち着いた風景をゆったりと感じることが出来る。
 通常、土塀や門によって門前町の喧騒と寺院内の静寂とは明確な区分があるように思うが、同時にこの境界によって聖と俗の空間の明確に分けられている。関西や北陸で見かける寺内町のように信仰と深く結びついた自治集落であっても、ここまで渾然一体となっているような印象は感じられない。永平寺は境内全体が公園のように緑で覆われていて、参道を歩いているうちに自然と敷地の中に入っていくが、こうした緩やかな境界が門前町と寺院とが一体化していると感じる理由かもしれない。もちろん、そうした境界の曖昧さもあるが、それと同時に永平寺の門前町が長い時間をかけて共存して暮らしていたという緊密さも理由の一つになっているのかも知れない。
 永平寺は、明らかにここから先が聖の空間という境界の存在があるものの、どことなくバスの停留所や駐車場に着くや否や周辺の自然と一体となった清涼感を街全体から感じる事を不思議に思う。



祓堂殿と勅使門を臨む 七堂伽藍 正面に僧堂 永平寺門前町の通り