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堺から古寺巡礼

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法金剛院

 京都市は東には加茂川、西は桂川に挟まれた盆地になるので、夏の暑さは湿度も加わり相当厳しい。ただし、水源の山地が近いこともあって、市内を流れる川は水量の多さに比べて良く澄んでいる。もっとも、ひとたび台風など大雨が降れば、二つの川は相当な水量と濁流になり、それらが全て淀川に流れ込むので、かつて地形を一変させるほどの氾濫がしばしば発生した事は容易に予想できる。
 京都が1200年を越える歴史の中で、莫大な歴史遺産を残しているのは、良くも悪くも二つの川との格闘の歴史だったと言って良いのかも知れない。



 桂川沿の嵐山から東に向かうと太秦、その北隣に花園がある。この地は鎌倉時代末期の花園天皇の御代に御所とされ、落飾して法皇となった後に禅寺に改められた妙心寺が有名だが、その妙心寺よりもJR花園駅に近いところに法金剛院がある。
 もともと平安時代初期の貴族である清原夏野の山荘として築かれたが、後に寺に改められたものが前身とされる。それから三世紀ほど過ぎた平安末期に、崇徳天皇、後白河天皇の母である待賢門院により再興され、多くの歌人が集まる平安末期のサロンとしての役割を担っていたと考えられている。
 苑池越しに礼堂を望むと背後に双ヶ丘(ならびがおか)が借景となり、周囲の喧騒とは別に小さな園内からの景観は平安時代の様相を彷彿とさせる。池の北には直ぐ五位山の斜面が迫るが、待賢門院の命により仁和寺の僧が巨石を組んだ日本最古とされる人工の滝、青女の滝があり、ゆっくりと滝の流れが池に注ぎ込む。浄土式庭園とは言われるが、現在は池を取り囲むように寺院建築が並んでいる訳ではないので、小さくまとまった回遊式庭園と呼んだ方が良いかと思う。



 度重なる災害や、丸太町通の拡幅などによって創建当時よりも縮小されているが、昭和43年に平安末期の庭園が発掘・復元され、今では蓮の名所としてよく知られている。平安時代末期に作られた浄土式庭園と呼ばれる様式では、関西では浄瑠璃寺などが有名だが、京都市内であれば、この法金剛院が小規模ながら、その由緒と共に名園のひとつと考えて良いと思う。
 平安貴族によって庭に池を取り込んだ寝殿造という住宅形式が確立され、山荘などに使われた住宅が代が変わって菩提寺として再建されるに至り、すぐれた庭園がそのまま寺院として残される結果になった。戦国時代から江戸時代にかけて有力武将が競って整備した回遊式庭園も、こうして残された平安貴族の名園から次第に発展したものといえる。
 夏の終わり頃に訪れると、夏の陽射を受けて育った木々に囲まれて、夏山を散策している雰囲気に近い。勢い良く生い茂る枝垂桜や楓の木、花を終えた蓮の葉に囲まれる池や庭を眺めてみて、それぞれの季節の花を想像するのは、葉が落ちた冬よりは若干分かりやすいかと思う。もう暫く残暑が続く季節に、深まる秋の様子を想像しながら名園を散策してみるのも楽しみ方のひとつかも知れない。



人工滝・青女の滝 礼堂北側の釣殿 丸太町通から表門を臨む