線香発祥の地、堺より、家伝の秘法に加え日頃から品質の向上に専念し、よい匂をお届けいたします

[ TOP ][ お問い合わせ ][ サイトマップ ]

堺から古寺巡礼

零陵香本舗 薫明堂 古寺巡礼

栄山寺

 奈良県南部の吉野川、和歌山県に入ると紀ノ川と名前が変わるが、川に沿って県境の奈良県側に五條市がある。吉野からの流れは五條市付近では相当な水量になるが、市内のJR和歌山線の五條駅から暫く川沿いに上流側に向うと栄山寺がある。
 大阪市内からも奈良市内からも離れていて、和歌山市からも川沿いにかなり上流に位置するので、恐らく五條市までは観光客はほとんど訪れないかも知れない。川沿いに更に上流の方に進めば吉野山に至るが、それも決して近くない。この辺鄙な場所であっても、一度は訪れてみたいと思わせるほど、栄山寺は特別な魅力を持つ奈良県内でも有数の古刹といえるかと思う。



 栄山寺は、藤原不比等の長子である藤原武智麻呂が養老3年(719年)に創建したと伝えられる。鎌倉時代までは、この武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺とされてきた歴史があり、特に天平年間に建造された八角堂は、奈良市内以外に現存する天平年間の建造物として大変貴重であり、国宝に指定されている。
 駐車場を越えて境内に入るとすぐ右手に梵鐘があり、この八角堂の他、この古刹に残るもうひとつの国宝に指定されている。この梵鐘は「平安三絶の鐘」とされ、菅原道真撰、小野道風の書と伝えられる銘文が施されている。この梵鐘を越えてから真っ直ぐ進むと、そう大きくない本堂、更に奥に進むと八角堂がある。八角堂は、藤原武智麻呂の没後、子の仲麻呂の代に、父である武智麻呂の菩提を弔うために建立したとされる。天平宝字4年(760年)から天平宝字8年(764年)の間に建てられたとされ、奈良市内以外にある天平年間の建造物として、また法隆寺夢殿に次ぐ八角堂の遺構としても重要な建造物のひとつとされる。



 この栄山寺の八角堂は、奈良天平年間の貴重な遺構であるばかりでなく、内部に残る彩色絵画が奈良時代から現存する貴重な絵画資料であり、昭和に入ってから度々調査されてきた。そうした学術的研究の経緯から、次第に全国的に知られるようになったように思う。八角堂内部には4本の柱が建ち、その天井部が格天井のように格子状に区切られ、今では相当剥離しているものの肉眼でも当時の彩色を確認することができる。
 栄山寺では、春と秋に本堂と八角堂内部が公開され、この貴重な文化財を身近に見る事ができるが、その際に復元した天井画も一緒に鑑賞できるようになっている。この天井画から推測する限り、今でこそ辺鄙な場所になった五條市が、当時藤原氏の栄華と共に先端的な文化伝来の場所だった事が容易に想像することが出来る。
 吉野から流れて和歌山に下る吉野川は、特に栄山寺付近では「音無川」と呼ばれている。弘法大師が読書中、吉野川のせせらぎの音が喧しいので「願わくば、音を消したまえ」と流れに石を投げて呪法を唱えたら、川が音を発てずに流れたという伝承があり、それ以降は音無川と呼ぶようになったと伝えられている。確かに、栄山寺周辺は水量はかなり多く流れも急に見えるが、見た目とは違って静寂感がある。日曜日でもほとんど行楽客に出会わないというのもあるが、その静けさが秋の栄山寺の一番の特徴と言えるかも知れない。



栄山寺本堂 八角堂 栄山寺近くの音無川(吉野川)