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高野山

 弘法大師が唐に渡って密教を学び、無事に帰国してから十年程過ぎた後、819年に修禅の道場として高野山を開山した。実際には高野山という名前の山は無い。標高1000メートル前後の8つの峰に囲まれた盆地上の平地からなり、3000人弱が暮らす山頂の宗教都市といった方が分かりやすい。
 2015年に高野山開創1200年とされ、様々な行事が繰り広げられる予定になっている。その815年は一般に弘法大師が修行の場として四国八十八ヶ所霊場を開創し、翌年816年に高野山に密教修行の道場を建立することを請願、前年には決意したともされるが、いずれにしても弘法大師以来、高野山が千年以上に渡って受け継がれてきたことには違いがない。



 日本の歴史上では吉野と共に何度も舞台として登場する高野山だが、そこに行くまでの道のりは簡単でない。本数もそれほど多くない鉄道を乗り換えて、更にケーブルカーに乗り換えて山頂へと向う。そこから今度はバスで、狭く急カーブの多い山道を暫く行くと、ようやく高野山の市街地に入る。
 山内に入るや否や道幅は広くなり、平坦な場所と魅力的な前庭が美しい宿坊が立ち並ぶ。現在は大学街でもあるので、市街地は商店や飲食店も立ち並び、門前町というよりもより現代的な活気を見せる。京都や奈良の市街地ほどの繁華街ではないが、単なる観光地とは違う独特な風情が高野山にはある。




 高野山の象徴的な場所として名高い奥の院は、その市街地の先になる。バス通りから離れて奥の院参道入り口に差し掛かると、既に別の空間に入り込んだかのような印象を受ける。2キロばかり杉の大木が茂る参道を進むが、この参道こそが高野山を象徴する場所であることを実感する。戦国武将から有名企業まで、30万基以上と言われる墓石や供養塔、慰霊碑が立ち並ぶ参道は日本の歴史そのものといった様相で、最奥の弘法大師御廟と灯篭堂がそれらを包み込むかのように鎮座する。この長い参道を歩きながら、次第にそのまま自然の中に溶け込んでいくかのようにも感じる。
 奥の院と並ぶ弘法大師ゆかりの聖地である壇上伽藍と、秀吉が建立した現在の金剛峯寺は高野山市街地からも程近い。奈良時代から平安初期を思わせる広大な敷地と相応の大規模建築群は、確かに高野山のシンボルにふさわしい。特に壇上伽藍の根本大塔は、その大きさにまず圧倒される。弘法大師により、日本で最古の多宝塔形式の建造物だとされるが、現在のものは1937年に再建されたRC造の建造物だが、既に開創1200年に向けての補修工事は完了している。

 高野山も、京都や奈良と同じように外国人観光客が大勢立寄るようになり、ある種国際宗教都市といった趣に変貌し始めている。もともと中世の国際人と言える弘法大師ゆかりの地で、知性の溢れる大学町でもある高野山であれば、国際化の潮流はむしろ本来の姿と言えるかも知れない。



高野山山内 壇上伽藍への道 壇上伽藍の根本大塔