奈良県と大阪府の県境になる生駒山地の南端、日本三大絵巻(四大絵巻とも言われる)で知られる信貴山縁起絵巻で全国的に知られる名山といえる。その信貴山の山腹に朝護孫子寺はあるが、宇治拾遺物語や今昔物語に描かれている通り「信貴山寺」として知られているのではないかと思う。
この朝護孫子寺の由来は、伝承によれば、聖徳太子が物部守屋討伐の戦勝義眼をした際、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が太子の前に現れ、その加護により勝利したことから、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとされる。信貴山といえば、この聖徳太子の逸話と、国宝の信貴山縁起絵巻、そして松永弾正と織田信長の闘いの場だった信貴山城は全国的に良く知られているので、それなりに行楽の名所のひとつだろうと思う。しかし実際に行ってみると、やはり辺鄙な場所のせいか、のどかで静かな山頂という印象を強く受ける。
境内手前にある仁王門 | 本堂への入り口 | 本堂からの景観 |